今回は、カーリングチーム北海道銀行フォルティウスに所属している『小笠原歩』さんについて記事にしました!最後までお付き合いください。
小笠原歩さんは、北海道銀行フォルティウスではリーダー&スキップを務めています。
小笠原歩さんはオリンピックでカーリングが盛り上がってきた瞬間に、いつも居たイメージがある方ですよね。常に日本カーリング界のトップを走ってきたそんな方が小笠原歩さんです!
それでは、【小笠原歩(カーリング)のwiki風プロフィール!本橋麻里や吉田知那美との関係性は?】について記事を紹介いきます。
小笠原歩のwiki風プロフィール紹介!出身や大学は?
まずは、小笠原歩さんのプロフィールを紹介します↓
名前:小笠原歩(おがさわら あゆみ)
生年月日:1978年11月25日
年齢:40歳(”18年12月現在)
星座:射手座
出身地:北海道北見市常呂町
大学:札幌学院大学
身長:155センチ
主な経歴:02年 ソルトレイクシティー五輪/06年 トリノ五輪/14年 ソチ五輪 出場、01年/05年/15年 世界選手権 出場、99年/01年/04年/06年/15年 日本選手権 優勝
出身はカーリングの聖地「北海道常呂町」の出身で、12歳の頃からカーリングのキャリアをスタートさせています。2018年平昌オリンピックで大活躍したLS北見が有名ですが、カーリング女子で世界と戦ってきた方と言えば、小笠原歩選手です。
個人的には、初めてカーリングを見たのが98年の長野オリンピックでしたね。あの頃は、男子チームの試合は何度か見ましたが、女子の試合は全く記憶に残っていません^^;
次の2002年のソルトレイクシティー五輪では、小笠原歩さんが現チーム北海道銀行のメンバー『船山弓枝』さんらと出場したのを覚えています。当時の年齢は23歳だったとかで、若いイメージがありましたね(^^)
計3度のオリンピック出場を果たしているので、カーリング界ではトップ選手といえます!
<小笠原歩さんの結婚情報>
小笠原歩さんはご結婚されていて、旧姓は「小野寺」と言います。カーリングキャリアの中では、結婚や出産によって約5年間離れていたのですが見事にママさんとして復帰を果たしていますね。
トリノ五輪のあった2006年に結婚、2009年には第一子を出産されています。
ママさんとして現役復帰となると、簡単では無かったと思います。カーリングは体幹がしっかりしていないと、そもそもプレー出来ませんので、トレーニングもかなり行ってきたのではないでしょうかね。
あとは、旦那さんもカーリング競技への復帰について、許してくれたみたいなのでご理解のある旦那さんだなーと関心しましたね^^;
私だったら、「カーリングを言い訳にして家事がおろそかにならないのであればOK!家事は手伝います^^;」って感じになっていると思います。
小笠原歩のカーリング経歴!本橋麻里や吉田知那美との関係性は?
小笠原歩さんがカーリングを始めたのが、中学1年生の12歳の時。当時、同じ中学校の同級生だった『船山弓枝』さんやらとチーム『シムソンズ』を結成。
ちなみに、2006年にカーリングが映画化されていてその題目が『シムソンズ』ですが、これは小笠原歩さんらが所属していたシムソンズを元にして作られています。
シムソンズとしては、世界ジュニアカーリング選手権に4度出場していますが、最高位が2位と銀メダルを獲得しています。当時のカーリング界では、最も素晴らしい結果をだったそうです。
98年と言えば長野オリンピックが開催された年でもありますが、時を同じくしてジュニア大会とは言え銀メダルに輝いていたんですね!全く存じ上げませんでした^^;しかも翌年も2位となる好成績ですから、素晴らしいです!
シムソンズとしては、ソルトレイクシティー五輪に出場していますが8位に終わっています。流石に、ジュニア大会とシニア大会ではレベルが何段も上がったなーと感じていたと思いますね。
ソルトレイクシティー五輪後は、シムソンズは解散されました。小野寺歩さんと船山弓枝さんがシムソンズを脱退して、チーム青森に移籍した為です。チーム青森では、後にLS北見の本橋麻里さんがメンバーとなっていますね。
チーム青森としては、トリノ五輪に出場を果たしていますが7位と、成績は奮いませんでした。
そして、オリンピック後はチーム青森から離脱して、故郷の北海道に帰り現役から退いています。この時期に、ご結婚されたり、第一子を出産されたりしています。
ご本人の気持ちは分かりませんが、ジュニア時代に2年連続で世界大会2位という好成績を上げていたので、オリンピックでもメダルを取れるはずだ!と思っていたに違いありません。
それが、蓋を明けてみれば8位と7位という惨敗でしたら、精神的にも疲れ切っていたのではないでしょうか。
日本ではカーリング娘と話題になっていたものの、成績とのギャップに苦しんでいたかもしれませんね。
これで、カーリング競技とはサヨウナラかと思いきや!2011年に北海道銀行のメンバーとして現役復帰!やはりカーリングからは離れる事が出来なかったのでしょうかね。
見事に復帰を果たした小笠原歩さんは、現LS北見のメンバー『吉田知那美』さんらとソチ五輪出場を果たし5位に入っています。ご自身としては過去最高の結果となりましたが、メダルには届きませんでしたね。
このソチ五輪の後には、吉田知那美さんが北海道銀行から戦力外通告を受けてしまっています。もう1名も退団をして、新生北海道銀行として平昌オリンピックに向けてスタートを切りました。
今度こそは、オリンピックでメダルを!と考えていたと思いますが、残念ながら平昌オリンピックには出場することが出来ませんでした。
結果的には、元チームメイトである『本橋麻里』さん、『吉田知那美』さんが銅メダルを取るという結果になってしまいました。ご本人の口からは話されていませんが、かなり悔しいと思いますね。
ちなみに、平昌オリンピック出場権を逃した後には、第一線から退く可能性を示唆しましたが、2018年のカーリング日本選手権でも元気にスキップとして出場されていましたよ!
<本橋麻里や吉田知那美との関係性は?>
元チームメイトで、平昌オリンピックではメダリストとなり一躍ヒロインとなったお二人。小笠原歩さんとの関係性ですが、可もなく不可もなくと言った感じではないでしょうかね。
そもそも、世代が違いますのでライバルとは思っていないと思います。ここまでカーリング界を引っ張ってきてくれた先輩ではあっても、競技になれば一人の選手ですしライバルチームにいます。
小笠原歩さんを直接ライバル視するというよりも、北海道銀行に勝たないと世界大会には行けない!という気持ちではないでしょうかね。
小笠原歩さんの視点からすれば、正直悔しい気持ちが強いと思います。同じようにオリンピックに出た元メンバーが違うチームに移ってメダリストになったのですから。
しかもソチオリンピックから平昌オリンピックにかけて、北海道銀行は日本ではトップのチームでした。LS北見はどちらかと言うと3番手、4番手といったチーム。そのチームが3年後にはオリンピックに出場するまでに成長しているのですから。
いつかどこかで、ツーショットやスリーショットが見られるかもしれませんね。(たとえ笑顔で撮影に応じていても、腹の中は分かりません)
まとめ
今回は、北海道銀行フォルティウス所属の小笠原歩さんについて記事にしましたが、いかがでしたか?
個人的には、小笠原歩さんにとってはカーリングは生活、人生の一部なんでしょうから、一生カーリングに関わり続けていくのではないかと思っています。
カーリングを辞めるなんて言わずに、次の北京オリンピックも目指して欲しいものです!